洋服の断捨離をしてる時、結構無意識に「これは部屋着にすればいいから残しておこう」とここ何年か思っていたような気がする。
で、溜めに溜まった部屋着が10着超えていたので、まさかの部屋着の断捨離をするハメになった。
罪悪感を減らすために部屋着にする
そもそもなんで、普段着→部屋着へと変遷するかというと、私の場合は100%捨てることへの罪悪感回避のためのように思う。
これ気に入って買ったんだけど、イマイチ似合わなかったなぁ→高かったから捨てるの嫌だなぁ→じゃあ部屋着にしよう。
そんな理論展開。
でも、気がついた。
部屋着としてちゃんと買ったものは活躍の場が多いのだけど、普段着から降格してきた部屋着はほとんど着ないのだ。
いつも夫にそのトレーナー着てるねといわれてる着古したトレーナーがあるのだけど、降格部屋着がやってきても結局そのトレーナー着てる。
そのトレーナーが何がいいかって言うとあんまり体型とか関係なく、且つ裏地がふっくら優しい肌触りなのだ。
部屋着と普段着は違う
そう、つまり部屋着に求めるものと普段着に求めてるものが違うんだ。
奇跡的に普段着で買って、部屋着にしたほうがいいよね?っていうことはあるかもしれないけど、たいていの場合用途が違うから結局相容れない。
そもそも普段着として所有者にダメ出しされた服を部屋着といえども着ないよねぇ。
そんなことに改めて、部屋着を眺めながら気が付き、断捨離をしました。
おかげで、10着もあった部屋着が3着になりました。
3着で、冬・春秋・夏と着回せるので、適正な数かなと思います。
今後は、衣類の断捨離の時に「部屋着にするから」という魔法のコトバは使わないようにしようと固く誓ったのでした。
あ、でも夫の方がひどくて、捨てようとするとすぐ「部屋着にするから」っていって(特にTシャツを)捨ててくれない。
彼の衣類の断捨離はいつできるのだろうか…(遠い目)